とはいえ、これから1週間ほどは十分にお花見を楽しむことができるはずです。
おそらく今週末には上野公園、千鳥ヶ淵、昭和記念公園・・・といった桜の名所は、多くの人でごった返すに違いありません。
ちなみに私のオススメは、以前近くに住んでいたということもあり、目黒川です。
今でこそ屈指の桜スポットになっていますが、有名になったのはここ10〜15年ほどだと思います。それ以前は川べりを歩きながらのんびりと満開の桜を楽しめる場所でした。
近年は行き交う人とぶつからないよう歩くだけで大変という混雑ぶりですが、それでも目黒川の桜を楽しみたいという方はぜひ代官山の西郷山公園にも足を運んでください。目黒川以上に春を楽しめる素敵なスポットですよ。
目黒川沿いを五反田・目黒あたりから中目黒方向に歩いた後に、西郷山公園を周遊してから、代官山ショッピングで締めるというのがモデルコースです。
花見とカラオケ
ところで、一昔前には公園の花見の席でいい気分のおやじ達がカラオケを熱唱という風景がよく見られました。最近そういった場面をめったに見かけなくなったのは、近隣の目が厳しくなったせいでしょうか。それとも、カラオケが完全に日常に溶け込んだためにハレの場での「儀式」ではなくなってしまったからでしょうか。
いずれにせよ、下手な歌を強制的に聞かされなくなってほっとしたのと同時に、この国の平熱が下がってしまった象徴に思えて寂しさも感じます。
今回は昭和にタイムトリップした気分で、花見のカラオケと著作権の関係について考えてみましょう。
普通にカラオケするなら大丈夫
通常のスタイルで花見のカラオケを楽しむ分には著作権法的に何の問題もありません。カラオケで著作権法の問題となるのは「演奏権」ですが、この演奏権は、著作物を公衆に直接聞かせることを目的として演奏する権利であるところ(著作権法22条)、小規模な集団で行うカラオケは「『公衆』に直接聞かせることを目的」としていないからです。
ちなみに著作権法上、歌唱は演奏に含まれます(2条1項16号)。
著作権法では、特定多数の者も「公衆」に含まれるとして(2条5項)として、通常の用法よりも「公衆」の範囲を広げていますが、10人程度の友達や同僚の集まりは不特定少数であり「公衆」に該当しないのです。
ですが、やや強引な気もしますが、屋外で公衆が聞くことができるようにカラオケしてるのだから演奏権侵害だろ、という反論の可能性もなくはありません。
しかし、大丈夫。その反論にも用意はあります。
非営利・無料・無報酬ならOK
著作権法38条1項の規定を見てみましょう。第38条第1項 公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
お花見のカラオケでは、①〜③のいずれの要件も満たすのが普通ですから、よほど特別なことをしなければ、やはりお花見でのカラオケについては著作権法の問題にはならない、ということになります。
しかし、せっかくなので(?)微妙な事例を考えてみましょう。
この場合は?
歌が上手いことで社内でも有名な安田さんがカラオケで某アーティストのヒット曲を歌っていたところ、近くで花見していた見知らぬ団体から「こっちでも歌ってくれよ」と頼まれました。それに応えて、その団体の前で安田さんは同じ曲を歌いました。
問題となるのは、山田さんが饗応を受けた場合です。
カラオケを歌い終わった後に団体の人から「ありがとう、ありがとう、一杯やってきなよ」と渡された紙コップの酒を飲むといった形であれば「報酬」というほどでもなく、問題にならないと思います。
あやしいのは、団体の誰から歌を頼まれる際に「いい酒持ってきたんだよ。それ一升あげるから、歌ってよ」と言われて、歌い一升瓶をもらった場合です。
一升瓶の酒がどれくらいの価値のものかといったことも問題となるでしょうが、根本的な問題は金銭でない物品が著作権法38条1項の「報酬」に当たるかどうかです。
同項は、報酬が「支払われる」と規定しており、この「支払われ」という文言からすれば金銭報酬に限られるともとれますが、物品に代替することで脱法的に同項の適用を受けられるとすれば、但書の存在意義が没却されるため、物品の流通価値や演ずる側が欲していた物品であるか等の事情を勘案して「報酬」に該当するか判断されるべきであると考えます。※
※特別な記念品・通常の飲食を超える饗応等の物的報酬も「報酬」に該当すると解する見解に半田正夫=松田政行編「著作権法コンメンタール2〔第2版〕」(勁草書房,2015年)360頁〔本山雅弘〕。
立証はどっちがする?
さて、さらに深く入っていきましょう。では、山田さんのカラオケの演奏(歌唱)が著作権侵害であるとして裁判で争われた場合に、報酬があったか否かは山田さんと権利者のいずれが立証しなければならないか、という問題が生じます。
かなり細かい話ですので、初学者の方は「そんなものか」程度に思っておいて下さい。
権利者側が立証責任を負うとするものに、岡村久道「著作権法〔第3版〕」(民事法研究会,2014年)264頁があります。
その根拠は記載されていないものの、38条1項の条文の構造が上記①と②の要件を本文で、③の要件を但書でそれぞれ規定していることに立脚しているのではないかと考えられます。
なるほど、著作権の効力範囲の例外として38条1項が規定されているのですから、その立証責任は基本的に行為者側が負い、例外的に規定されている但書については権利者側が負う、というのは理に適っているようにも思えます。
しかし反対に、同項但書の要件について行為者が立証責任を負うとする説があります。
但書の趣旨が、行為者に報酬を支払う場合、著作権者に対しても当然にその被る不利益を填補すべきであるとことろにあることがその根拠になるようです。※
※田中豊編「判例でみる 音楽著作権訴訟の論点60講」(日本評論社,2010年)258頁〔田中豊〕。高部眞規子「実務詳細 著作権訴訟」(きんざい,2012年)291頁も同旨。
しかし、この理由はいまひとつ説得力に欠ける気がします。
むしろ、行為者の方が主張立証が容易である※という現実的な理由の方がまだ説得力を持っているのではないでしょうか。
※田中 前掲書258頁
さらに、権利者側が立証責任を負うとする立場が論拠とする条文構造に関して、③の要件が但書に規定されているのは、演奏者等を介さない利用行為であるために無報酬の要件を必要としない38条2項以下との平仄をとるという立法技術的な意味しかないとする説明があります。※
※半田=松田 前掲書360頁〔本山雅弘〕。
この考え方に立てば、例外的事項を規定しているから、わざわざ但書に規定しているという積極的な理由はないこととなり、権利者側が立証責任を負うとする立場は苦しくなります。
個人的には、行為者側が立証責任を負う方の立場を支持したいです。
0 件のコメント :
コメントを投稿