スポーツのルールに著作権はある?

いよいよプロ野球が開幕しました。
画面にかぶりついてプレーに見入るようなことはありませんが、作業をしながら音声を流していたりするので、ペナントレースの順位程度は把握していますし、選手の名前もある程度はわかります。

ところで、プロ・アマを問わず野球を見ていて気になることがあります。
それは、野球の場合、公式規則がインターネットで配布されていない点です。

野球のルールは細かく見ていけば相当に複雑で、こんな場合はどうなるんだろう?とたまに疑問に思うことがあります。
そんな時、公式規則が簡単に調べれれば、とても助かります。

しかし、野球の公式規則はオフィシャルにはインターネットで見ることができません。
個人が開設しているサイトやブログには全文を掲載しているものもあるようですが、どこまで信頼していいいのか判断に迷います。
そもそも、著作権の問題は大丈夫なのか、という疑問もあります。

そこで、スポーツのルールと著作権の関係について見ていきたいと思います。

スポーツのルール自体は著作物ではない
まず、スポーツのルールそれ自体は著作物ではなく、ルールの考案者が著作権を主張することはできない、という点については合意が形成されています(※)。
※中山信弘「著作権法〔第2版〕」(有斐閣,2014年)53頁、岡村久道「著作権法〔第3版〕)(民事法研究会,2014年)47頁、作花文雄「詳解 著作権法〔第4版〕」(ぎょうせい,2010年)頁等。

裁判例も同様で、東京地判平成13年12月18日(スーパードリームボール事件)では、次のように判示されています。

著作権法は、著作物について、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(同法2条1項1号)であることを定めているから、表現を離れた単なるアイディアは著作物とはいえず、著作権法上の保護の対象とはならない。
しかるところ、原告アイディアは、「スーパードリームボール」というスポーツについてのアイディアであって表現ではないから、原告アイディアを著作物ということはできない。
原告は斬新なアイディアは著作物というべきであると主張するが、アイディアがいかに独創的であったとして、アイディアにすぎない以上、著作物たり得ないことに変わりはないから、原告の主張は採用できない。

要するに、スポーツのルールそれ自体は表現ではなくアイデア(思想)であるので、著作物ではないということです。

この考え方は「思想・表現二分論」「表現/思想・感情二分論」「表現/アイデア二分論」等と呼ばれるもので、著作権法の根幹を成すものと考えられています。

ルールブックは著作物か?
それでは、アイデアであるルールを文章や図説といった形で具体的表現に落とし込んだ場合は、著作物に該当するでしょうか?(以下では、ルールが具体的に表現されたものを便宜的に「ルールブック」と呼ぶことにします。)

ルールブックの著作物性が争点になったものとして東京地裁八王子支部判決昭和59年2月10日(ゲートボール競技規則書事件)があります。
ゲートボールの創案者であるAが著述出版した規則書の競技規則部分の著作物性について裁判所は、次のとおり判示しています。

被告は競技規則を表現した部分は思想、感情抜きで機械的に表現されているから、その著作物性には問題があると主張するけれども、新たに創作されたスポーツ競技に関し、その競技の仕方のうち、どの部分をいかなる形式、表現で競技規則として抽出、措定するかは著作者の思想を抜きにしてはおよそ考えられないことであり、本件原告各規則書の規則自体もAの独創に係るものであることは前認定のとおりであつて、それは文化的所産というに足る創作性を備えているのであるから、その著作物性を否定し去ることはできないというべきである。

この判決は大半の学者に支持されていようですが(※)、ルールブックのどのような点に創作性を見出すかという点については注意が必要でしょう。
※中山・前掲書53頁、岡村・前掲書47頁、染野義信「判批」著作権判例百選〔第2版〕36事件。

裁判所は「その競技の仕方のうち、どの部分をいかなる形式、表現で競技規則として抽出、措定する」点に創作性を見出しており、「素材の収集、選択あるいは素材の配置、分類等」に創作性が認められれば著作物たり得ると評価されています(※)。
※染野・前掲。

事実そのものは著作権法の保護対象でなく、事実をありふれた方法で表現しても創作性は認められないの当然です。
しかし、その事実を表現するに当たって素材の選択等に創作性が発揮されれば、著作物性が認められるというのは染野の説くとおりであり、このことは地図について考えればよくわかります。
また、表現自体に創作性があれば、著作物性が肯定されるのは言うまでもありません。

一方、著作権法が保護するのは表現上の思想・感情であるところ、本判決が創作性を見出しているのは素材としての思想・感情であり、それらの峻別を欠いているとの批判もあります(※)。
※渋谷達紀「著作権法」(中央経済社,2013年)12頁。

問題は、本判決がゲートボールのルールが事実としてある上でその選択に創作性を見出しているのか、あるいはそれをアイデアとして捉えてその部分も含めて創作性の判断をしているのか明確でない点にあります。
判決文は「競技の仕方のうち、どの部分をいかなる形式、表現で競技規則として抽出、措定するかは著作者の思想」として、素材の選択と表現方法に創作性を認めているとも考えられますが、同時に「新たに創作されたスポーツ競技に関し」「各規則書の規則自体もAの独創に係る」という部分については、アイデアも創作性の考慮に含めているように読めます。
このように裁判所の意図は必ずしも明確ではありませんが、思想・表現二分論の原則を考えれば、後者の記載は余計な誤解を生むものであり、不必要であったと思います。

ただし、裁判所がルール自体の独創性について言及するのも全く理解できない訳ではありません。
ルールが確立・普及されていない時点では、ルールの記載の仕方、つまり表現方法に幅があるように思えるからです。

これを裏から見れば、十分に普及したサッカーや野球等といったスポーツについては、ルールの表現方法もほぼ確立されており、独自にルールを書き下ろしたとしても、よほど特徴がある表現でなければ、著作物性が認められる可能性は低いと考えられます。
この点に関しては、考究が不十分ですので、今後の研究課題であるといえます。

著作権は認められたものの・・・
さて、ルールブックにも著作権は認められることはわかりましたが、次はその保護範囲が問題となります。
スポーツが伝播・普及され、そして実際にプレーされるには、そのルールが巨細様々な形で表現されることが不可欠ですから、ルールブックが著作物である場合に、それがどの程度再現されれば著作権侵害となるかは重要な論点となります。

この問題に関して、広い保護を認めるという見解は皆無だと思われます。
ルールブックの記述の内容の中心はルールというアイデアであり、表現の幅が限定される部分については必然的に類似してしまうため、保護範囲は狭いものになってしまうのです(※)。
※中山・前掲書53頁。興味深いことに、同じ著者によるゲートボール競技規則書事件の批評では、アイデア保護の防止という観点からではなく、地図と同種の事実著作物であることを著作権の保護範囲が狭くなることの理由としています(中山信弘「スポーツの規則書の著作物性とその侵害」ジュリスト895号)。アイデア保護の防止を理由とするものに、岡村・前掲書47頁。事実著作物であることを理由とするものに、染野・前掲。新規のスポーツのルールについては前者を、普及したスポーツのルールについては後者を中心に考えるのが穏当な線かもしれません。この点も研究課題といえるでしょう。

したがって、初心者向けにルールの中からポイントとなる点だけを選んで簡潔に記載したようなものは著作権侵害となる可能性が低いと考えられます。 また、ルールの全範囲を対象としていても、ルールブックとは異なり、図解を中心に説明したようなものについても著作権侵害の可能性は低いでしょう。
各種スポーツの公式ルール
完全に余談ですが、記事を書くのに当たり、各種スポーツの公式ルールがインターネットで公表されているか簡単に調査しました。
その結果を「スポーツ公式規則」にまとめておきました。

もう少し調査対象を増やし、体裁も見やすいものにしたいと思います。
そのうち、更新されていると思いますので、よろしくお願いします。

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