「たしかに」「もちろん」「なるほど」の違いは? 戦略の接続詞(4)

「戦略の接続詞」では、文章作成における効果的な接続詞の使い方について考えます。

主なターゲットとして、論理性が要求される文章、例えば論文やオフィシャルな案内文等を想定していますが、その他の種類の文章(小説、エッセイ、レポート、社内文書等)にもきっと役立つ内容だと思いますので、是非ご一読下さい。



今回は「たしかに」「もちろん」「なるほど」を中心に見ていきます。


取り扱う主な接続語

たしかに・もちろん・なるほど


受容の接続詞
今回は「たしかに」「もちろん」「なるほど」を「受容の接続詞」というカテゴリーに分類し、検討していきます。

通常の品詞分類では、これらは副詞です。
しかし、逆接語句(「しかし」「・・・が」等)を伴うことで、対立する内容に部分的に同意しながら反論するという接続詞的な機能を有することになります。
ですから、接続詞の一種としてここで取り上げることにします。

「受容の接続詞」という名称は、あくまでも仮のもので、特徴をうまく表現できているか自信がありません。
もっと相応しい名称があれば変更しますので、案があれば是非ご教示頂ければと思います。

さて、これら3つのうち「たしかに」と「なるほど」はかなり近似した意味内容なのですが、「もちろん」はそれら2つとは幾分異なっています
したがって、先に「たしかに」と「なるほど」を見て、その後に「もちろん」を検討することにします。


「たしかに」「なるほど」
「たしかに」と「なるほど」は、主に、その前に述べられたことに一定の同意を示す場合に用いられます。そして、逆接語句が続いた後に、その反論が展開されます
伝え手の主張が後の部分にあることは言うまでもありません
例を見てみましょう。

たしかに東京は便利な街だ。しかし、その便利さが不便を生み出している側面も忘れてはならない。

この文の前に東京が便利であることの証拠や意見が述べられており、その主張をいったん受け入れるのが「たしかに」です。
これに対して「でも、ちょっと待って。そうとも言い切れないよ。」という反論が「しかし」の後に置かれるのです。

前の主張を完全に否定するわけではなく、むしろ同意できる面が大きいという印象を受けます。

全面的に否定する場合に「たしかに」で受けると何ともすわりが悪い文章になります
「たしかに東京は便利な街だ。しかし、東京は便利な街ではない。」
文学としての表現ならありでしょうが、論理性が要求される文章では、これだけ自己矛盾的になってしまうとさすがに厳しいでしょう。

では、「たしかに」と「なるほど」にはどんな違いがあるのでしょうか?

上の例で「たしかに」を「なるほど」に代え「なるほど東京は便利な街だ。しかし、その便利さが不便を生み出している側面も忘れてはならない。」としても、全く違和感はありませんし、意味内容も変わりません。

次の例ではどうでしょうか?

たしかに海外での売上は順調に伸びている。しかし、中国は例外だ。 なるほど海外での売上は順調に伸びている。しかし、中国は例外だ。

言語感覚の個人差によるかもしれませんが、私には「たしかに」の方が少しだけ自然な気がします。
「なるほど」は「たしかに」よりも納得した度合いが強い印象を与えます。
日常会話で「なるほどね〜」というときは、ストレートに感心して納得したという心情を吐露しているのではないでしょうか。
一方、「たしかにね〜」というときは、わずかばかり認めたくない点があっても、全体としては認めざるを得ないというような感じがします。

納得度が高い「なるほど」を使った後に、その内容に突っ込むという構造が(個人的な)違和感の理由だと思います。

ですから、一般論としては正しいけれども、例外があるため、そこに切り込んで反論したいというような場合には「なるほど」よりも「たしかに」の方が少し勝る表現だと思います。

一方、対立する主張を全面的に受け入れつつも、別の角度から反論するような場合は「なるほど」の方が適切ということになりそうです。

また、「たしかに」はどちらかといえば《主張の正しさ》を認めている印象があるのに対して、「なるほど」は正しさよりも、その点については《納得したという心情》を伝えている印象があります。 ですから、「なるほど」の文章の語尾には「〜であろう」「〜というのはもっともである」のように納得を示す言葉を置くと自然な文章になるでしょう。


効果抜群の「なるほど」
これまで「たしかに」と「なるほど」の違いを分析してきましたが、その差はかなり微妙であり、各自の言語感覚による部分が大きいと思われます。
ですから、これまでの記述に同意できないという方も少なくないでしょう。

しかし、戦略的な使用という観点から、これだけは言っておきたいということが一つあります。

それは、使える場面であれば「なるほど」という語は使った方がよいということです。

「なるほど」は、文章においてそれほど目にする機会が多い語ではありませんので、新鮮さがあり、読み手の注意を惹きます。
また、文章にこなれた感じが生まれ、好印象につながります。その割に「小難しい言葉を使いやがって・・・」という嫌らしさを感じさせないのも「なるほど」の優れている点です。

このように、プラスに働く要因が多い「なるほど」ですので、積極的に使って頂きたいと思います。

「たしかに」という語を使いたくなったら、待てよ「なるほど」を使えないかな?と想起してみて下さい。
同じ意味内容でも「たしかに」を使ったのでは得られない効果が得られます


「もちろん」
「もちろん」は「たしかに」や「なるほど」よりも文章における使用頻度が高い語です。
これは「もちろん」が「たしかに」や「なるほど」とは異なる機能を有していることに起因していると考えられます。

「たしかに」や「なるほど」では基本的にそれ以前で述べられたことを受容する機能を有するのに対して、「もちろん」は、他人が主張したいであろうことについて自分が既知であることを示す機能があります。

例を挙げた方がわかりやすいでしょう。

もちろん異論はあろう。しかし、ここで勝負に出なければジリ貧になるのは目に見えている。

この例文の前に、異論の内容が書かれていれば、「もちろん」よりも「なるほど」の方がピッタリです。しかし、そのような前置きもなく「なるほど」というのは、(異論があるという事実がしっかりと共有されている場面でもなければ、)おかしな表現とまります。

このような機能を持つことから、「もちろん」という語は、予想される反論や意見を掲げて、予めそれに対処する場合に使用されます
卑俗な言い方をすれば「わかってるって」とか「そんなことは知ってるんだよ」という感じでしょうか。

「たしかに」「なるほど」は、まず対立する主張を掲げてからそれに反論するという形で使われるのに対して、「もちろん」は自らの主張を展開しながら、異論・反論がありそうなところで予め自身に分があることを伝えるわけです。
「たしかに」「なるほど」が使用される場合には話の流れが大きく変わるのに対して、「もちろん」では話の流れは基本的に変わらりません。これが「もちろん」の使用頻度が高い理由だと思われます。

逆に受け手の側から考えてみると、大きく意見が割れるような事項であるならともかく、細かい異論・反論でわざわざ「たしかに」「なるほど」とされたのでは、過剰な演出のせいで、疲れてしまいます。

ですから、言及する価値がどの程度ある異論・反論なのかを見極めた上で、価値が高いものには「たしかに」「なるほど」(前述のとおり「なるほど」をオススメします。)を使って劇的な効果を作出し、そうでないものには「もちろん」を使ってスムーズな流れで記載を進めるのがよいでしょう。

0 件のコメント :

コメントを投稿