主なターゲットとして、論理性が要求される文章、例えば論文やオフィシャルな案内文等を想定していますが、その他の種類の文章(小説、エッセイ、レポート、社内文書等)にもきっと役立つ内容だと思いますので、是非ご一読下さい。
今回は「ただし」「ただ」「もっとも」を中心に見ていきます。
ただし・ただ・もっとも・とはいえ・しかし
例外の接続詞
今回は「ただし」「もっとも」「とはいえ」を「例外の接続詞」というカテゴリーに分類し、検討していきます。「例外の接続詞」の機能は、その語の前に述べたことの例外的な事項を除外するというものです。
「例外の接続詞」というカテゴリーを設けたものの、第2回「『しかし』と『しかしながら』の違いは?」で取り上げた逆接の接続詞との境界はかなり曖昧で、明確に区別できるわけではわけではありません。
ですから、必要に応じて、逆接の接続詞の代表的存在である「しかし」を引き合いに出しながら検討を進めていきたいと思います。
「しかし」と「ただし」の違い
まずは、例外の接続詞と逆接の接続詞のそれぞれの代表的な語に登場してもらい、それらの違いを確認しましょう。次の例を見て下さい。
A.この店の抹茶ソフトはとても美味しいらしい。しかし、すぐに売り切れてしまう。
B.この店の抹茶ソフトはとても美味しいらしい。ただし、すぐに売り切れてしまう。
一般に、「○である。しかし、●である。」というとき、話の重点はたいてい●であり、たまに○と●が同価値の場合もある、そのいった関係です。
つまり、「しかし」では、○≦●という関係が成り立つのです。
一方、「○である。ただし、●である。」という場合、重点は○にあり、●はそれに付随して補足するという役割になります。
つまり、「ただし」では、○>●という関係が成り立っています。
このことから、Aでは、話の中心がすぐに売り切れるという点にあると捉えられるので、買えないという心情を読み取ってしまうわけです。
それに対して、Bでは、抹茶ソフトが美味しいという点に話の中心を捉えて、早めにいけば買えるんだという印象を受けるのです。
これが、「逆接」と「例外」の違いの一つです。
とはいえ、AとBでは、受ける印象こそ少し異なるものの、それほどの差は感じません。
「ただし」という語の「例外」の機能が強く発揮されるのは厳密さが要求される文章においてであり、それほど厳密さが要求されない文章では「逆接」との区別が曖昧になってしまう性質があるのです。
届出を一度行えば、毎年届出を行う必要はありません。ただし、届出事項に変更が生じたときは、所管する保健所に変更届を提出する必要があります。 東京都福祉保健局「ふぐ加工製品の取扱いに関するQ&A」A11
この文章の「ただし」を「しかし」に代えても問題ないように思う方もいるかもしれませんが、この「ただし」は「しかし」で代替すべきではありません。
届出は一度でいいというのが原則ですが、その例外として届出事項に変更が生じたときには届出が必要という、明確な「原則−例外」の関係があり、「しかし」を使用したのではその関係性は表現できないからです。
このように厳密さが要求される文章では、先の「○>●」という関係以上に明確な「原則−例外」の関係を表現するために「ただし」が用いられるのが普通です。
別の例を見てみましょう。
また、同じ料理を食べた家族が同時に腹痛や体調不良を訴えるケースも珍しくありません。家族が同時に体調を崩したことから、個人的な体調の問題ではなく、店の食事に腹痛の原因があると疑われてしまうわけです。しかし、寝食を共にしている家族は、同じタイミングで風邪などにかかることも多く、体調の悪化も同時に起きることがあります。その場合に「直前に食べた食事が怪しい」と疑い、店側に問い合わせが入るというケースが目立ちます。 外食相談研究会「困った!どうする?店長2万人のクレーム解決術」(日経BP社,2016年)135頁
ただし、体調不良を訴えるクレームの電話を受けたときは、いきなり理屈で説得しようとするのは逆効果です。まずは「お体の具合はいかがですか」などとお客様の体調を気遣う言葉を必ずかけて、相手の話を聞くことです。そうしないと、「あの店は体調の心配をしてくれなかった」という別のクレームになってしまいます。
この例の「ただし」に、「原則―例外」の関係はありません。
それどころか「○>●」の関係が成り立っているかどうかさえ微妙です。
むしろ「しかし」や「とはいっても」に置き換えた方が自然なようにも思えます。
この例文の著者は、前半の段落で「しかし」を使用しているため、繰り返しを嫌って「ただし」を用いたのかもしれません。
このように、一般的な文章では、逆接の接続詞とほとんど差がない用法の「ただし」もよく見られます。
守備範囲が広い「ただ」
例外の機能だけでなく、時には逆接的な機能を有する「ただし」ですが、法律・契約に関する文書や学術論文等を除いて、実際には使用頻度はそれほど高くありません。多くの本では、ほとんど「ただし」を見かけないくらいです。
では、どんな言葉が使われているかといるのでしょう。
それは「ただ」です。
この「ただ」は「ただし」以上に、例外と逆接の境界を軽々と超えてしまう接続詞です。
それだけでなく、この「ただ」は非常に含みが多い語で、味わい深いとも言えますし、とらえどころがないとも言える興味深い接続詞です。
そのせいでしょうか、かなり硬い文章から日常会話まで幅広く使われます。
「ただ」は、ほとんどの場合、「しかし」にも「ただし」にも置き換わることができます。
さきほどのクレーム対応の例をもう一度見て下さい。
「ただし」を「しかし」に置き換えた方が自然かもしれないと述べましたが、「ただ」に置き換えても全く違和感がないのではないでしょうか。
この多義的な性質があるからこそ、書き言葉でも話し言葉でも「ただ」が多用されるのでしょう。
また、例を一つ見ましょう。
配達遅れに対するクレームへの対処ですが、以前はおわびの意味を込めて割り引きなどをしていたチェーンもありました。しかし、配達時間を守ろうと焦ることが交通事故を誘発しかねないため、現在は誠意をもっておわびをし、割り引きなどは行わないことが一般的です。ほとんどのお客様はそれで納得してくださいます。 外食相談研究会・前掲書124頁
ただ、おわびの手紙を後日送る際には、次回利用時に使える割引券を同封する店もあります。店側の誠意を示したうえで、販促の効果を期待できるというわけです。
上の段落では、配達した際の対応方法について述べているのに対して、続く段落では、後日の対処方法について説明しているため、逆接の接続詞では、適切に前後の文章を結べていないからだと考えられます。
もちろん、例外の意味もありませんので「ただし」に置き換えてもやはり不自然な印象を受けます。
では、補足の接続詞「なお」に置き換えることはできるでしょうか。
(「なお」は、それまでの内容と関係があるものの、本論からは外れる事項を述べるような場合に用いられます。) 「なお」で代替することも可能といえば可能かもしれませんが、やはり違和感があります。
たしかに、先に述べたように逆接的あるいは例外的に文章を結ぶのは躊躇しますが、かといって、前の文章を単純に補足するのもこれまた違う気がするのです。
「ただ」という接続詞の機能のコアは、伝えたいことや伝えるべきことは既に述べたけれど、その言葉だけでは何か誤解されるおそれがあったり、本心が伝わらなかったりする可能性があるので、そうならないようにするために言葉を継ぎ足すというものではないか、と考えます。
ですから、「しかし」「ただし」に代替され得て、さらに「なお」の意味まで含め持つ、複雑な機能を有する接続詞として成立しているのでしょう。
「ただ」が許容される文章
「ただし」は文章に用いられる語で、「ただ」は会話に用いられる語と説明するものがありますが、これは完全な誤解です。実際には、文章においても「ただし」という表現はあまり用いられず、「ただ」が多用されています。
しかし、会話でも用いられる「ただ」が文章に用いられると、ある程度くだけた表現に感じるのも事実であり、文章の中で「ただ」を用いても許されるのかどうか判断に迷う場合もあります。
判断基準を考えてみましょう。
まず前提として、「ただ」が許容されない文章の方が珍しいということを強調しておきたいと思います。
例えば、新聞では「ただ」が当然のように使われていますし、学者が書く解説的な文章でも「ただ」が使われるのはごく普通のことです。
とはいえ、学術論文の類いになると、さすがに「ただ」の使用を避ける傾向が強く、場面に応じて「しかし」や「ただし」等を使い分けている例が多いです。
「ただ」の使用の是非の境界は一本の線で区切ることができるような単純なものではないでしょう。厳密さと読みやすさのバランスを考えて、前者が優先するような文書では、基本的に「ただ」の使用を避けた方が無難ということになりそうです。
現実的な解決策としては、その分野の慣行や伝統に従っておけば間違いありません。
極めて当然かつ保守的な結論ですが、読み手あっての文章ですから、自分の好みを押し出すところではないのです。
「もっとも」「とはいえ」
例外を表す際に使われる接続詞としては、他に「もっとも」や「とはいえ(とはいっても)」があります。「もっとも」は、「ただ」の代わりに使える可能性が最も高い語です。
「ただ」が持つ多義的な性質とほぼ同様の性質を持っていますが、「ただ」よりも品格を感じさせる語であり、学術論文類でも全く問題なく使用することができます。
ただ、「もっとも」は「ただ」より補足という性質が弱まり、逆接・例外の性質が強まっている点には注意が必要です。
また、「ただ」が多分に主観や心情が込められているように感じさせるのに対し、「もっとも」は客観的・理知的な判断から導かれた事項が続く印象を与えます。
ですから、自分の心情の機微を読み取って欲しいときなどに適した語ではありません。
「とはいえ(とはいっても)」は、「もっとも」よりさらに逆接・例外の性質が強まった語です。
余計に述べてしまったことを修正するような意味合いを感じさせる言葉だと思います。
イメージ的には「それはたしかにそうなんだけど、違う場合もあるよね」くらいのニュアンスでしょうか。
「しかし」や「ただし」の代用の語として使えないことも珍しくありません。
戦略的な使用法としては、本来言いたいことよりも、意図的に広め(大げさ)に述べておいて、それを「とはいえ(とはいっても)」で正確な内容に修正するというものがあります。ストレートに正確な内容を述べるよりも深い考慮が感じられて説得力が上がるケースがあります。
とはいえ、理屈っぽい雰囲気を持った言葉なので、嫌味たらしい文章にならないよう使い過ぎには注意が必要です。
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