Ⅰ.前史
第1章 著作権略史
1.著作権法事始
日本に初めて著作権法が登場したのは、インターネットが普及する1世紀前、明治32年(1899年)のことである。それまでも版権条例などによって、出版物や写真、楽譜、脚本などには、独占的な権利が与えられていたが、登録が保護の条件であったり、絵画や彫刻といった美術品が対象に含まれていないなど、近代的な法制とは程遠いものではあった。
それが、明治32年の著作権法の制定・施行によって、突如、当時の世界の最前線に追いつくことになる。
明治32年といえば、文壇では正岡子規や森鴎外が既に活躍しており、音楽界では瀧廉太郎が作曲家として活動し始め、美術界では黒田清輝が代表作の一つである「智・感・情」を完成させた年である。
西洋文化を吸収した近代的な文化が様々な分野で花開こうとしていた、そんな時代だ。
だから、芸術家から明治政府への突き上げによって著作権法が制定されたと想像したくなるだろう。
ところが、現実は全くそれとは違っていた。
いかにも明治の話らしいのだが、著作権法の制定はあくまでも不平等条約の撤廃のためになされたのである。
不平等条約の改正は、明治27年(1894年)調印の日英通商航海条約を皮切りに、その後順次進んでいくが、この条約の附属議定書の第三に「日本國政府ハ日本國ニ於ケル大不列顚國領事裁判權ノ廢止ニ先タチ工業ノ所有權及版權ノ保護ニ關スル列國同盟條約ニ加入スヘキコトヲ約ス」という規定があった。
解読困難な「大不列顚」は「グレートブリテン」のことである。
要するに、イギリスとの治外法権を撤廃するためには、その前提として工業所有権(現在の産業財産権)と版権(現在の著作権)の国際条約に加入することを条件とする、という内容の条項である。
ここにいう国際条約とは、それぞれ「工業所有権の保護に関するパリ条約(通称「パリ条約」)」「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約(通称「ベルヌ条約」)」を指す。
パリ条約とベルヌ条約は、現在では国連の専門機関である世界知的所有権機関(WIPO、「ワイポ」と発音される)が管理しており、世界のほとんどの国が加盟している条約である。
これらの条約に加盟するためには、条約が要求する水準を満たす国内法が必要だったため、日本は、日英通商航海条約の発効する明治32年7月16日までに特許法や著作権法などを整備することが不可欠となった。
そのために制定された法律の一つが明治32年の著作権法なのである。
ところで、ベルヌ条約の成立過程において、ある大作家が大きな役割を果たしている。
今も世界中で広く読まれ、そしてミュージカル作品として屈指の人気を誇る「レ・ミゼラブル」の作者、ヴィクトル・ユゴーである。
ユゴーが活躍していた頃、フランスではベルギーやオランダで印刷された廉価本が流通することにより作家の報酬が減少し、アメリカでは「クリスマス・キャロル」「大いなる遺産」で知られる英国の国民的作家チャールズ・ディケンズなどの英国作家の海賊版が大量に出回っていた。
作家の作品を保護するための法制度は各国にあったものの、国際的な枠組みが存在しなかったため、国外で印刷されたり、流通するコピー品への対処が難しったのである。
ユゴーは著作権の重要性を訴えるために、国際文芸協会を設立し、その会長を務めていた。
そこにドイツ書籍商協会が働きかけがあり、著作権に関する国際組織を設立するための会議が1883年(明治16年)にスイスのベルンで開催されることになった。
その後、数回の会議を経て、1886年(明治19年)に制定されたのがベルヌ条約(ベルヌはベルンのフランス語読みである。)なのである。
先に述べたとおり、ベルヌ条約に加盟するためには、その国の法律が一定の水準を満たしていることが条件となるため、明治32年の著作権法は必然的に創作者に手厚いものとなった。(日本が加盟したのは、パリ追加規定という改正条項が加わったベルヌ条約である。)
不平等条約撤廃のための努力が、結果的には明治期に欧州並みの著作権制度を日本に誕生させることにつながったのである。
とはいえ、本心では、日本はパリ条約やベルヌ条約へ加盟したくなかった。
これらの条約に加盟するということは、外国人の発明や作品についても日本人と同様の保護をすることを意味するため、技術的・文化的に欧米の列強にはまだまだ遠く及ばない日本としては、できることなら加盟を回避したかったのである。
パリ条約・ベルヌ条約への加盟や著作権法・特許法等の制定は、下表のとおり、日英通商航海条約発効の年である明治32年に慌ただしく行われた。
これは、とりもなおさず日本がパリ条約・ベルヌ条約に加盟しない方策をぎりぎりまで探った結果なのである。
3月2日 特許法・意匠法・商標法公布
3月4日 著作権法公布
4月15日 パリ条約加盟
4月18日 ベルヌ条約加入
7月1日 特許法・意匠法・商標法施行
7月15日 著作権法施行
7月16日 日英通商航海条約発効
2.水野錬太郎と旧著作権法へ
0 件のコメント :
コメントを投稿