スポーツのプレーに著作権はある?

以前、スポーツのルールは著作権によって保護されるか検討しました。
( ⇨ スポーツのルールに著作権はある?

結論としては、ルール自体は著作物ではないため著作権によって保護されませんが、ルールブックのように具体的な表現とされれば著作権によって保護される可能性があるということでした。
それでは、策定されたルールのもとで行わるスポーツのプレーには著作権が発生するでしょうか?

スポーツのプレーの著作物性
スポーツのプレーといっても、かなり曖昧な言葉ですので、ある程度明確にしておく必要があります。
ここでは、ルールに則って行われるスポーツの競技や試合(100メートル競争の全体やプロ野球の一試合等)とその一部(サッカーの直接フリーキックによるゴール、ボクシングの一ラウンド等)を合わせて単に「プレー」と呼ぶことにします。

ですから、「プレー」の中には、卓球のスマッシュのように秒単位のものから、クリケットのように日をまたいで試合が行われる長大なものまで含まれることになります。
また、プロ野球の日本シリーズや箱根駅伝のように大観衆を前に行われるものもあれば、サークルの紅白戦のように全く注目されないものもあり、「プレー」の範囲はかなり広大です。

このように時間の長短、関心の程度、技術の成熟度等に大きな幅がありますが、プレーそのものについては、基本的に著作権は発生しないということでコンセンサスが確立されています。
言い方を換えれば、プレーは著作権法2条1項1号の「著作物」には当たらない、ということになるのですが、その論拠は緻密に考究されていわけではありません。

たとえば、スポーツの試合について「最初に失点したチームが試合後半に同点に追いつき、終了直前に逆転に成功するといった感動的な試合展開は、一定のルールに基づき双方のチームが真剣勝負を行った結果にすぎず、そこには作者(著作者)などいないシナリオのないドラマなのです」と説明するものがあります(※)が、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法 2条1項1号)という著作物の定義にどのように合致しないのか、いまひとつ判然としません。
※TMI総合法律事務所編「著作権の法律相談Ⅱ」(青林書院,2016)95頁〔水戸重之〕。その他には、プレーに著作物性がないことに言及しつつも、単に著作権法2条1項1号の著作物に該当しないことだけを理由とするものが多いです(「エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワーク編「エンターテインメント法務Q&A」(民事法研究会,2017)100頁〔中崎尚〕、池村聡「プロスポーツと放映権」ジュリスト1514号等)。

なぜプレーは著作物ではないのか?
少し掘り下げて考えてみましょう。

一般に、著作権法2条1項1号は、①思想又は感情を②創作的に③表現したもの、であって④文芸等の範囲に属するもの、というように4つの要件に分けて検討されます。
これら4つの要件すべてを充たすものが、著作物として著作権法の保護を受けられるということです。


✦ 表現したもの

まず、「③表現したもの」について検討します。

この要件は、思想・感情が内心に留まらず、人の五感によって感知し得る態様で表出されていることを求めるものですが(※)、プレーは人の動作や道具等の動き、審判の声や打撃音等によって、感知可能な態様で表出されていますので、この要件は充足します。
※半田正夫「著作権法概説〔第16版〕」(法学書院,2015)77頁、中山信弘「著作権法〔第2版〕」(有斐閣,2014)55頁等。


✦ 創作性

次に、「②創作的に」の要件、いわゆる創作性についてです。

この要件は、著作権法の核心とも言えるものですから、安易に論じることはできませんが、個性の発露があれば創作性が認められるとする考え方が通説であるものの(※1)、近年は「選択の幅」がある部分の表現であれば創作性が認められるとする考え方が有力になっています(※2)。
※1半田・前掲書77頁等。 ※2中山・前掲書65頁以下等。

どちらの考え方を採るにせよ、プレーに創作性があるか否かの判断は容易でなさそうです。

しかし、「クリエイティブ」と賞賛されるプレーが存在することは確かです。
「そこから、ループシュートを打つのか!?」とか「1打目はそうやって刻むんだ!?」とか「おいおいそんな極端な守備シフトとって大丈夫か!?」等と驚嘆するとき、私達は少くとも創作性に似た何かを感じ取っているのだと考えられます。

そういったクリエイティビティが本当に著作権法の創作性に当たり得るか否かという点についてはさらなる吟味が必要ですが、ここでは、プレーに創作性がないと一概に否定することはできなさそうである、と結論するに留めておきます。


✦ 文芸等の範囲に属するもの

次は、「④文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する」についてです。

一見、スポーツのプレーは文芸・学術・美術・音楽の範囲には含まれないとの印象を持ちますので、この要件は充足しないということになりそうです。

しかし、この要件は文芸等に代表される知的・文化的包括概念に入るか否かによって判断されるとするのが判例・通説であり(※1)、さらに突き詰めて、実用品や工業製品を著作権による保護から排除するための要件であると考えられています(※2)。
※1東京高判昭和62年2月19日(当落予想表事件)、加戸守行「著作権法逐条講義〔6訂新版〕」(著作権情報センター,2013)24頁、半田正夫=松田政行編「著作権法コンメンタール1〔第2版〕」(勁草書房,2015)45頁〔金井重彦〕等。
※2加戸・前掲書22頁、中山・前掲書81頁。


そうであるならば、この要件をもってしてもプレーの著作物性を一概に否定することはできなさそうです(※)。
※エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワーク編前掲書100頁(中崎尚)では『スポーツの試合そのものは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」とはいえず、「著作物」にあたらない』として、スポーツの試合の著作物性の判断についてそもそも当該要件を考慮対象としていません。

しかしながら、この要件は存在意義が薄いものとして軽視されてきた経緯があり、深い議論がなされてこなかったという事情もあり、本当にスポーツのプレーがこの要件を充足し得るということについては疑問なしとしません。
仮に規範的に見てプレーの著作物性がないと判断されるならば、むしろこの要件を積極的に用いるとするのも一つの見識だと思います。この件に関しては稿を改めて検討することとします。


✦ 思想・感情(の表現)

最後に「①思想又は感情(を表現したもの)」の要件を見ていきましょう。

この要件もなかなか厄介です。

プレーは身体の反射的あるいは無意識的な動作であって思想・感情の表現ではない、という主張もできそうです。

しかし、カーリングやゴルフのように戦略性・戦術性が高いスポーツでは知的な要素が重要であることは言うまでもありませんし、スヌーカーでは(経験則に頼る割合が高いとはいえ)一種の幾何学的・物理学的思考が要求されます。
また、野球のピッチングフォームは、実戦では無意識的に動作されるものかもしれませんが、そのフォームが完成する過程では、ピッチャー本人や指導者の運動学的知見が取り入れらたかもしれません。

このように見ると、当該要件も否定するのは簡単でなさそうです。

全体は部分の集合ではない?
以上検討してきたように、各要件を個々に判断したところ、プレーの著作物性は一概に否定できないと考えられます。

これに対しては、次の2つの反論が想定されます。

一つは、個々の要件でそれぞれ別の例を取り上げれば、その要件を充足するものは存在するかもしれないが、要件の全部を同時に充足する具体例は存在しないのではないか、という反論です。

もう一つは、たしかに著作権法2条1項1号の規定については、4つの要件に分けて検討するのが伝統的な手法であるが、著作物性の判断をするには、それだけでは足らず、もっと規範的な観点からもなされるべきである、という反論です。

これについては、学説上でも著作物性を有し得るとする見解が多い新体操、フィギュアスケート、シンクロナイズドスイミングを例として取り上げて、次回の記事で検討していきたいと思います。

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