⇨ スポーツのプレーに著作権はある?
その内容を簡単にまとめると、スポーツのプレー(試合・競技やその一部)は著作物ではないとするのが通説であるものの、2条1項1号の著作物の定義を区切って考えてみると、それほど容易に著作物性が否定されるわけではない、ということです。
前回の記事の最後に述べましたが、これに対しては、次の2つの反論が考えられます。
反論1
個々の要件でそれぞれ別の例を取り上げれば、その要件を充足するものは存在するかもしれないが、要件の全部を同時に充足する具体例は存在しないのではないか。
反論2
たしかに著作権法2条1項1号の規定については、4つの要件に分けて検討するのが伝統的な手法であるが、著作物性の判断をするには、それだけでは足らず、もっと規範的な観点からもなされるべきである。
反論2は様々な論点が関わってくるため、難解なテーマとなりますので、機会があれば記事にしたいと思います。
フィギュアスケート・新体操・シンクロナイズドスイミング
では、早速見ていきましょう。反論1の骨子は、私が前回の著作物性の検討で各要件を充足するものとして挙げた具体例は、その1つの要件についてはクリアするかもしれないが、同時に他の要件すべてを充足することはないのではないか、というものです。
たしかしに、私の論証はご都合主義が過ぎるもので、いかにも説得力に欠如したものでした。
しかし、それを承知で極端な例を挙げたのは、プレーの著作物性を否定するのは一般に考えられているほど容易でないことを強調したかったからです。
それでは、反論1が指摘するように著作物性の4つの要件を同時に充たすプレーは存在しないのでしょうか。
従前からフィギュアスケート、新体操、シンクロナイズドスイミング等(※)が著作物性を有する可能性があると考えられてきましたので、これらの著作物性を検討していくことで、この問題に解答を与えたいと思います。
※文献ではこの3つの競技種目を挙げることが多いが、他にもチアリーディング、エアロビック競技等も同様に考えられます。また、アクロ体操やフリースタイル・フットボール等も含まれるかもしれません。
「振付」と「演技」
検討を始める前に予め重要な留意点について述べておきます。それは、フィギュアスケート等について著作物となるのは、あくまでも競技で実施される「振付」であって「演技」そのものが著作物となる訳ではないということです。
羽生結弦選手が連覇を成し遂げた平昌五輪で披露したフリープログラム「SEIMEI」は、カナダ人振付師のシェイリン・ボーンさんが振付を担当したとのことです(※)。
※nikkanspors.com「フィギュアに恋して『羽生のワクワク伝わる 振付師も望んだ2季前の再演』」2018年4月3日閲覧。
この場合、仮に羽生選手が行うプログラムに著作物性があるとしたら、その著作者は振付を創作したボーンさんということになります(羽生選手が振付の創作に関与しているなら、ボーンさんと羽生選手の共同著作物になります。)。
一方、平昌五輪での羽生選手の演技そのものについては、著作隣接権の中の「実演家の権利」で保護される可能性があります。
本記事ではフィギュアスケート等の振付の著作物性について検討し、実演家の権利による保護可能性については次回以降の記事に譲ることとします。
なお、以下では、冗漫な記載を避けるため、上記のようなスポーツの代表としてフィギュアスケート(特に「SEIMEI」)を検討対象としますが、新体操やシンクロナイズドスイミングについても基本的な考え方に差はないこともあわせて留意下さい。
「著作物」の各要件を充足するか?
フィギュアスケートの振付が「著作物」に該当するのか、前回の手法に倣って、著作権法2条1項1号を4つの要件に分けて検討していきます。①思想・感情(の表現)
フィギュアスケートを観戦している多くの人は、各選手のフリープログラムにはテーマやストーリー性があると感じることでしょう。
実際に、ボーンさんは「SEIMEI」を振り付けるのにあたって、映画「陰陽師」や日本伝統の舞踊を見た上で、羽生選手と会話を重ねて「物語の方向性」を見つけたといいます※。
※nikkanspors.com・前掲記事。
振付師が表現したストーリーをどれだけ受け取ることができるかは、観戦する人によって大きく異なるでしょうが、例えば寓意画や標題音楽でも同様であり、それに接する者が創作者の思想・感情を正確に感受できる必要はないと考えられます※。
※抽象画やの器楽曲から創作者の思想・感情を感受するのはこれら以上に難しいと思われますが、著作物であることに異を唱える者はいません。
したがって「SEIMEI」の振付は思想・感情を表現したものといえそうです。
②創作性
スポーツ競技であるフィギュアスケートの振付は、ルールや採点基準の存在が前提となるため、創作に一定の制限が存在することになります。
しかし、前回の記事で見たとおり、創作性の要件については、個性の発露の有無又は選択の幅の広狭で判断するのが有力なニ説であるところ、(少くとも羽生選手が演技するレベルにおいては)技以外の部分でも手の動きや姿勢等が緻密に計算されており、いずれの説を採るにせよ、創作性を否定するのは難しいでしょう。
③表現したもの
ボーンさんによる振付は、羽生選手によって現実に表現されたものですので、この要件を充足することに異論の余地はありません。
④文芸等の範囲に属するもの
これも前回の記事で言及しましたが、本要件は、知的・文化的包括概念に入るものであればよいと、かなり大雑把に考えられてきたため、文献の中にもスポーツをこの要件をもって著作物から排除するとする見解はありません。
したがって、現状では、スポーツ一般についてこの要件を充足すると解するのが適当であるといえます。
まとめ
以上の検討から、少くとも羽生選手の「SEIMEI」レベルの振付であれば、著作権法2条1項1号の各要件は充足すると考えるのが自然な解釈といえるでしょう。
学説の状況
では、学説ではどのように扱われているでしょうか。簡単に整理してみたいと思います。
まず、フィギュアスケート等が一般には著作物性がないと解されていると紹介するものがありますが(※1)、その根拠は示されていないため、どの程度一般的な見解であるかは不明です(※2)。
※1中山信弘「著作権法〔第2版〕」(有斐閣,2014)89頁、多田光毅=石田晃士=椿原直編著「紛争類型別 スポーツ法の実務」(三協法規出版,2014年)〔大澤俊行〕253頁。
※2専門家による否定的な見解はあまり見られませんが、渋谷達紀「著作権法」(中央経済社,2013)33頁は「スポーツ選手のフォームは、著作物ではない。それは技術や身体能力の表出であり、フォームに選手の表現上の思想感情が盛り込まれているわけではないからである。シンクロナイズドスイミングや新体操の演技の型も同様というべきであろう。競技ダンスの演技の型は、舞踊の著作物である。アイス・スケートのショウにおける演技の型も同様である。」としています。フィギュアスケートも新体操と同様の判断がされると考えられます。ただし、どのような基準で新体操等と競技ダンス等との間で線引きしているかは不明です。
次に、対象を限定しながらも比較的明瞭に著作物性を認めるものとして、身振りや動作が鑑賞用に工夫されているものは、舞踊の著作物と認められるとする見解があります。
※島並良=上野達弘=横山久芳「著作権法入門〔第2版〕」(有斐閣,2016)〔横山久芳〕39頁。なお、池村聡「プロスポーツと放映権」ジュリスト1514号は、中山・前掲書等を根拠として挙げ、特に理由は示さず「フィギュア等の演技を伴うスポーツの場合、振付の著作物に該当する場合もあろう」としています。
また、著作物性を否定することが難しいとして、裏側から著作物性を肯定していると考えられるものがあります。その論拠としては、競技を目的とするということだけで著作物性を否定できないというもの(※1)や、実質から見れば舞踏とほとんど変わりないことを考慮するもの(※2)が見られます。
※1斉藤博「著作権法〔第3版〕」(有斐閣,2007)82頁。
※2中山・前掲書89頁。
これらの論説は、フィギュアスケートの振付の著作物性について、著作権法10条1項3号に著作物の例示の一つとして挙げられている「舞踊又は無言劇の著作物」のカテゴリーに含まれるか否かで検討することで共通しています。
このような態度が採られるのは、スポーツのプレーは基本的に著作物とならないが、フィギュアスケート等は舞踊に近似する性質があるため、他のスポーツとは同列に扱うことができず、舞踊との比較から著作物性が判断されるのが適当であるとの思考が働いている表れでしょう。
一方で、競技における振付については、まず著作権法2条1項1号に基づき著作物性が判断され、その上で著作物性があるとされれば、その種類・形式として舞踊やこれに準ずるものと扱うべきとするものがあります(※)。
※半田正夫=松田政行編「著作権法コンメンタール1〔第2版〕」(勁草書房,2015)561頁〔関堂幸輔〕。多田光毅=石田晃士=椿原直編著「紛争類型別 スポーツ法の実務」(三協法規出版,2014年)〔大澤俊行〕253頁も同様の趣旨であると考えられます。
なお、現在のところ、この点に関して争われた裁判例は存在しません。
検討
上で見たとおり、学説においては、著作権法10条1項3号の舞踏・無言劇の著作物に該当するか否かによって、フィギュアスケートの著作物性の検討を行う傾向が強いといえます。しかし、そのような判断手法では、著作物の範囲が狭く解されるおそれがあり、妥当ではないと考えられます。
たしかに、バレエやパントマイムのような10条1項3号の典型例に近似しているという事実は著作物性を認める場合の根拠にはなり得るでしょう。しかし、それとは逆に、典型例に近似していないという事実があるからといって著作物性が否定される理由とはなりません。
10条1項3号の枠組みの中で検討する場合、バレエ等の典型例を想起することによってバイアスが生じてしまい、それら典型例に近似しなければ著作物として認め難いという心理が働いても不思議ではありません。
したがって、フィギュアスケートの振付が著作物性を有するか否かは、あくまでも2条1項1号の該当性によって判断されるべきでしょう(※)。
※応用美術についての議論ですが、著作権研究所応用美術委員会「著作権法と意匠法との交錯問題に関する研究」(著作権情報センター,2003)156頁は「著作物性を否定するためには必ず著作権法2条1項1号の定義に該当しないことが確認されなければならない。応用美術の著作物の著作物性の主張を棄却する判決には『美術の著作物』に該当しないとしているものがあるが、『美術の著作物』に該当するか否かで終わずに更に心理を尽くし著作権法2条1項1号に定められている著作物の定義に該当しないことまで明確にすべきである」としています。
結論
羽生選手の「SEIMEI」は、上で検討したように、著作権法2条1項1号の定義に合致すると考えるのが自然ですから、著作権が発生しているとするのが妥当であると考えられます。また、フィギュアスケートや新体操のような舞踊に近い性質を有するスポーツ以外についても、個別的に著作権法2条1項1号の定義の合致性が判断されることによって、著作物性が認められる可能性があるでしょう。
この点について、これまで学説では十分な検討を行ってきませんでしたが、再考の余地があると考えます。
私見
上記のように結論しながらも、私見では、羽生選手の「SEIMEI」の振付を含めて、スポーツのプレー全般について著作物性を肯定することには反対です。この私見は、とりもなおさず、冒頭の「反論2」に当たります。
したがって、この私見について論じるのは、いつかの機会に譲りたいと思います。
図らずも長文になってしまいましたが、読了いただき、ありがとうございました。
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